幸せになりたいなあ。



今日は一人一人の人とゆっくり話をしたかったので、4人の人と、
4つの場所で、話を聞いてもらいました。
人から聞いた話なんて少しもあてにならない。
それが日曜日に得た教訓。




急ですが。



「幸せになりたい」


なんて言ってる人が私は嫌いだった気がします。
何を寝ぼけたことをいってるんだおまえは。
幸せなんて自分で探すものだし、やり方しだいや考え方しだいで
幸せは来るものだから。


確かにそうだ。その考えは私は今も昔も変わらない。
でも、「幸せになりたいなぁ」て最近思うようになってきた。
私は知らず知らずのうちに、自分で幸せを逃してしまっていた。
おろそかにしちゃいけない想いとかを、遠いところに置いてきて
しまったっぽい。もうそれはしかも届かない。
きっと今私が幸せになりたいなーと思ってるのも、
自分が幸せをどっかに捨ててきてしまったからだろうと思う。
自分のせいです。でも後悔しても戻ってこないんです。
これから幸せになるとしたら、
前になくした幸せを探すんじゃなくて、それを待つんじゃなくて、
新しい幸せを手に入れないといけないんだろうなーきっと。
難しいなあ。
あー今、これを読んでいる健康な人は、この子病んでるなあって
思うんだろうなあ笑。恥ずかしいなー。じゃあ書かなきゃいいんだけどさ。


どこかで私は全てをわかっていて、どうするべきなのかもわかっていて、
でも気持ちだけが前を向いていなくて、うしろを探していて、
自分が苦しくないために、必死にそのことに気付かないふりをしてる。


それはこういうこと。


ある子供がすごく大切にしているおもちゃがある。
そのこはそれがすごくすごく好きで、毎日そのおもちゃと遊ぶ。
そのおもちゃにも心があって、そのこのことをすごく大好きだった。
だから、いつも一緒。人間とおもちゃっていう違いや事情はあったけど、
それでもお互いがすごく大好き。
その子供があるとき、おもちゃに嫉妬した。他の子供と遊ぶおもちゃを
見て、それを知って。そして子供はおもちゃを信じれなくて泣いて泣いて
おもちゃを困らせてしまった。
そんなことをしているうちに、おもちゃはそのこと一緒にいなくなった。
そうなってしまってから、その子供は、そのおもちゃを実はそんなに好き
じゃないと思い込もうとする。そのおもちゃがなくなっても全然大丈夫だ
と思い込もうとする。
でも本当は、すごくすごくそのおもちゃのことが大切で、大好きで、
ずっと一緒にいたいのに。でもそう願ってもかなわないから、
一緒にいることが出来ないから、つらくないように、
好きじゃないって自分自身に言い聞かしてる。
でもふと、やっぱりそのおもちゃと遊びたくて、遊びたくて、好きで
でもどうしようもなくて、昔一緒におもちゃと遊んだ楽しかった頃を
思い出してみたりする。それはもう思い出でしかないのに。


その子供はどうするべき?
新しいおもちゃを探す?
それでもおもちゃの側にいる?
おもちゃで遊ぶのをやめて勉強する?


日記を読んでいる友達にあんたは文章やっぱりつくるのうまいわ。
といわれた。
昔小説を書いていたし、物語を作ったり論文も得意だったからだろう。
ちゃんと読んでみなさいな。
これのどこがうまいのだ。
気持ちが入り混じってぼろぼろの文章。


「整った文章は技術じゃない、それを書く人の内面の問題だ。」


誰かがそういっていた気がする。



これを書いている途中、家の外から、素人っぽい演歌の声が流れる
車が通った。
ちょっと笑ってしまった。お前誰だよ。